廣川洋一著「ソクラテス以前の哲学者」

廣川洋一著「ソクラテス以前の哲学者」に記載されている内容を、筆者の経験と合わせて一部解説する。

1.ペレキュデス

彼はギリシア神話の一解釈を残した。始まりは、

「ザス(ゼウス)とクロノス(時)とクトニエ(地)は常に存在した。そしてクトニエはゲ(大地)という名称になった、それというのもザスがクトニエに、贈物として大地を与えたので。」(引用)

と書いた。このクトニエというのは私のツイッターのアカウント名の由来である。
さて、「常に存在した」という表現に注意せよ。この表現によって無から有が生まれるという既存の神話の宇宙生成説の矛盾が見事解消されている。
そして、始まりを誤魔化さないところにもペレキュデスの論理性が垣間見れる。

さて、なぜこの三者が常に存在したのだろうか。ゼウスは万能の神でクロノスは時間。クトニエという地の存在は不要ではないか?なぜならゼウスが大地を作ることができるのだから。
これは私の推測だが、ペレキュデスは原初的な天動説、つまり地面は平面であるという考えを持っており、世界存在には地面が必要不可欠だったからだと思われる。地面という我々を支えるものが存在し、そのあとで神がその地面を拡張したのではないかということだ。
非常に合理性があり、ペレキュデスは流石七賢人と言われるだけある。

さて、注目ポイントはもう一つある。「贈物として贈られたので」という表現である。
この後、
「これが最初の夫から妻への贈与(アナカリユブテリア)だといわれている。」とある。
ペレキュデスによって作られた神話体系は、論理性と同時に小説のような人間性も取り入れた非常に高級な神話なのだ。

本書ではこの第一段階の宇宙生成説より先のことも載っているが、割愛する。

2.タレス

タレスは世界最初の哲学者だと言われる。彼は万物の根源を追い求めた人で、万物の根源とは水であると結論付けた。
理由は簡単だ。すべて生命は死ぬと干からび、生きる間は水が必要で、あらゆることが水によってなされているからだ。
我々も理解できるだろう。水門学という学問があり、それは水がどのように地球を循環して生命を維持しているかを学ぶ。地球の可変性、多様性はひとえに水によるものである。
その点において、生命の根源は水であるというのは正しい。

3.アナクシマンドロス

万物の根源を追い求めた哲学者をミレトス派といい、初代タレス、二代目アナクシマンドロス、三代目にして最後がアナクシメネスである。
アナクシマンドロスはソクラテス以前の哲学者で最も好きな哲学者だ。

「存在するものどもは、それがそこから生成してきたところの、そのものへと自然に従って、また消滅するのだ。というのも、それらは、時の定めに従って、互いに、不正にたいする罰を受け、償いを支払い合うことになるからだ」(引用)

なんと美しい一節だろうか。諸行無常、この世界に不変なものなど存在しないということを鮮やかに示している。

すべてのものはあるものから生み出されたが、その生み出されたものに還る。
人間を始めすべての生命は土に還るのと同じだ。そして地球も、宇宙もすべてあるものから作られ、そしてあるものへと還るのだ。
あらゆるものには対立するものがある。暖と冷、乾と湿などである。それらは互いに拮抗しているということは滅多になく、からなずどちらかが優勢だ。
日本でも梅雨では、北からの冷気と南からの暖気がぶつかり、拮抗して、最終的に南の暖気が押し勝って北の冷気を上へと追いやる。
このとき、暖気は冷気の本来的な領域を侵害している。これは不正である。必ず、時の定めに従って暖気が罰を受け、力が弱まり北の冷気に押し負ける時が来る。
すると今度は冷気が暖気の領域を侵害し、罰を受け、暖気の勢力が強まる。
このようにして秩序が生み出され、四季が生まれ、対立する一方だけが圧勝しないようにされ、世界は廻るのだ。

私はこの説明に仏教を見出した。この世界の無常さ、それを遥か昔の人間が知っていたということに感動した。

今のこの文章を見ると、私が昔の人は頭が悪かったと思っていたかのように読めるが、そうではない。人間の知性は変化していないと考えている。人間の脳の構造は大して変化していないようだから知性そのものは変わらない。変わったのは知識だ。
ヘシオドスやタレスは博識だった。今では一般常識とされる、当時一般常識ではない科学的知識を持っていた。だが、彼らは我々が信じがたい天動説などの知識も持っていた。
我々はそんなものを信じているのかと鼻で笑うだろうが、果たして我々は正しいのか?地動説が正しいと思い込まされているだけではないか?人類全員が地動説だと思っていたら本来天動説なものも地動説になる。
たしかに我々と彼らの知識は別物だ。我々の信じられない物を信じている。しかし私の知識が正しいと思うのは間違いだ。選民思想に囚われている。
どの知識が真であるかは我々が知ることはできない。重要なのは、定義、すなはち前提条件の上に積み重ねられた定理、すなはち知識である。
彼らの前提条件は目で見えるものだけだ。手足でどうにかできる範囲だけだ。その情報を前提知識として定理である思想を生み出した。その前提条件下ではその思想は正しいかもしれない。
一方我々の前提条件は専門家、機材によるより厳密な情報だ。当然前提知識が違うのだから定理は異なる。
前提条件の正当化は不可能だ。それには別の前提条件が必要だからだ。
最終的な結果だけ見ていると足を掬われる。

脱線した。

アナクシマンドロスは万物の根源としてト・アペイロンを主張した。
トアペイロン、それは無限なるもので、何者でもなく、何者にもなりうるものだ。
要は現代で言うところのダークマターというやつだ。何かよくわからないものだということだ。
この世界を生み出すのに万物の根源(アルケー)が有限では足りなくなる。だからアルケーは無限に存在しなければならない。
アルケーによってすべてのものが作られる。
例えばアルケーを水だとすると、それに対立する火をつくることがどうやっても出来ない。プラスを足してマイナスにすることはできないということだ。暖から冷は作れないのと同じだ。(ゼータ関数による自然数の総和は-1/12ですが、勘弁してください)
したがって、アルケーは対立する両方を作れなければならない。そんなものは「何者でもない何か」に決まっているだろう。
アルケーが何か特定のものに定まったら、その対となるものがあるのだからそれはアルケーではない。区別とは対を生み出すことなのだから当然である。
そして、そのアルケーはすべてのものに変化できなきゃならない。この3点をまとめたものがトアペイロンだ。
なんて合理的なのだろう。生命の源が水だから万物の根源アルケーが水だと早とちりしたタレスを遥かに上回る!

やはりアナクシマンドロスは天才である。

4.クセノパネス

「だがもし、牛や馬、ライオンが手を持っていたら、あるいはまた、手によって描き、人間同様の作品を造ることができたなら、馬は馬に、牛は牛に似た神々の形姿を描き、彼らそらぞれが持つ形姿と同様な(身体)を造ることだろう」(引用)

このような事を主張した人がこんな古代にいるとは思わなかった。人間の描いたものだからこそ、どの神も人間の体であるのだ。人間はそんなに崇高な存在なのか?仮に神がいたとして、どうして人間の似姿をしていると言えるのか?
キリスト教ならば、神は土塊をこねて姿を似せて、それに息を吹き込んだら人間
ができたと主張するだろう。それは真かもしれない。だが、我々が牛ならやはり神は牛に似ていたのだろうか。
やはり選民思想的である。

まとめ

ソクラテス以前の哲学者は最高に面白い。
総ページ400の半分が現存する哲学者の日本語訳だから、実質ページは200ページ程度だから見た目ほど長くない。
それに、哲学者ごとに解説してあるので飛ばし読みも可能。
ヘラクレイトスが何故現代哲学でも度々引用されるのか?
様々な思想を堪能できます。
是非読みましょう。

ソクラテス以前の哲学者 (講談社学術文庫) [ 広川洋一 ]




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ABOUTこの記事をかいた人

・東京理科大理工学部数学科一年の大越英叶。 ・みんなからは親しみを込めて「えいとさん」とよばれる。 ・読書、哲学、数学、クラシックがだいすき。 ・世の中は無常だということを最近理解し始めた。 ・好きな分野:哲学.倫理学.物理学.数学.神学.神話.タロット.C言語.文学.古典.その他 ・苦手な分野:歴史.芸能.地理.時事.ファッション.芸術.アニメ.漫画.経済.その他