自由とは何か

自由における諸説を取り上げる。
自由ってなんだろう。
今回は自由について考察してみる。

1.義務論的思想

カントは言った。「自由とは理性が今これをしなければならぬと言ったそれをすることだ」と。
例えば、ある小学生は明日算数のテストだ。算数の勉強をしなければならぬと頭ではわかっている。しかし遊んでしまった。
この小学生は理性という正しいものに身を委ねず、本能のゆくままに従ってしまった。これは自由ではない。
この頃の哲学者は皆、理性は絶対的に正しいと信じていた。正しいからこそそれをするのが善いことで、自由なのだ。

まってくれ。理性に従って生きることは本当に自由なのか?

ハックスリー著「素晴らしい新世界(brave new world)」という小説がある。
科学が大きく進んだ未来の話。一人残らず全員が幸せになれる理想の社会がある島に建設された。そこでは生まれる前から条件反射を操作されて、例えば全員が同じ気温を快適だと感じるようにされる。そして操作した条件反射に最も適した環境を与えてやる。不幸になる情報は一切閲覧する機会すらないし(つまり存在自体知らない)、不幸になる要因は徹底的に排除している。その島の物語だ。

※TRPGゲーム「パラノイア」の原点

この島に住む人々の理性は本当に正しいだろうか?
研究者に支配された理性に従うことは絶対的に正しいのか?
理性とは絶対的な存在ではないのかもしれない。ロックの言った「タブララサ(生まれた時人間の経験は白紙状態)」のように、理性もまた経験によって作られるのかもしれない。
それでは結局、理性も本能も同じようなものなんじゃないか?

2.犬儒学派的思想

犬儒学派(キュニコス派)とは、犬のように生きろをモットーとする思想家たちである。つまり、本能のままに生きるのが自由だということだ。
この思想で有名なのは、ディオゲネスだろう。彼は財産を失った時、友人から樽を貰った。そこに住んでみたら非常に居心地が良かったことから、彼は死ぬまでその樽で暮らしていたそうだ。
また、彼が日向ぼっこしているとき、アレクサンドロス大王(超強い)が通りかかり、ディオゲネスに声を掛けた。
ア「ほしいものはあるか?」
デ「日向ぼっこのじゃまだからどいて」

他にも様々な逸話が残されている。
では、犬儒学派のように本能のままに従って生きるのが自由なのか?
それはそれでひどく束縛されているように思う。タバコをやめたいのに辞められないのは自由と言えない。

3.古典物理学的思想

ラプラスの悪魔という存在がいる。ラプラスの悪魔はある瞬間のすべての物質の運動と位置を把握している。
ところで、この世界はすべて物質の位置と運動によって決まると言っても過言ではない。
ビリヤード台ですべての玉の位置と、これから発射される玉の位置を正確に把握していたら止まった後の玉の位置を正確に予測できる。
それと同じで、ある瞬間に物質の位置と運動を正確に把握する悪魔の存在がいたら、その悪魔は未来を正確に予想できるのではないか?
我々はビッグバンが発生した時には、いや、それ以前から我々が今こうして生きていることが決定されていたのではないか?
果たして予定調和として存在する我々は自由と呼べるのだろうか?
ラプラスの悪魔は知っている。あなたが明日の朝何を食べるのかを。そしてあなたは全くその通りのものを食べるだろう。
一通りしか取りようのない選択肢を選ぶことは自由か?
これも自由ではないように感じる。

しかし、3.のラプラスの悪魔は量子力学の発達により否定された。量子力学ではそもそも物質の運動と位置を同時に知ることはできないし、量子レベルの物質の動きは完全にランダムだったのだ。
しかし予定調和説は依然存在する。

4.神学的思想

神学も色々あるのだが、例えばカルバンの予定説は有名だ。神によって救われるものは初めから決まっていて、世界や歴史すべてが神の手のひらにあるというキリスト教の考え方だ。
この考え方ならば、やはり我々の行動は予め決まっていることになる。

5.仏教的思想

この世界はすべて因果(原因と結果)によって定まる。全てのものは相互依存の関係にあり、ただそれ自体でなりたってるものはない。
ブッダの唱えたものだ。
例えば、私がブログを始めたのは私の意思だと思っているが、ブッダに言わせればそうでは無いそうだ。私の周囲のものが原因となり私がブログを始めたと言うのだ。
分かりやすく言うなら、科学の実験だろう。実験では対照実験などと言って、条件を変えてやると結果もかわる。つまりその実験は条件(外的要因)によって決められるということだ。
我々も同じで、我々の環境が少しでも違っていたなら我々の行動は変わる。
これは先程の古典物理学と似ているが、少し違う。古典物理学の予定調和説は量子力学により否定されたが、ブッダの縁起の法は否定されない。
量子がランダムに振る舞い、結果が変わったとしても、結局我々の行動は外的要因に支配されている。
つまり、原因によって私がどう思うかが決定され、行動が決定されるのである。

我々の行動は完全に外部に依存しているのだ。

6.現代的思想

現代で自由と言ったら専らJSミルの自由論を指す。
自由とは我々の自由意志に基づいて行動することある。
簡単に言えば、たとえ私が囚人となり牢獄に入れられたとしても、今私がまさに寝たいと思って実際に寝ることができれば自由ということだ。
日本人も大抵が、「自由って自分が自由だと思うもの」と考えているだろう。自分が自由だと思っていたらそれは自由である。

しかし先の囚人の例で、仮に私は寝ることしか選択肢がないから脳が寝たいと判断したとしたらどうだろう。
別の例を挙げる。
pcでネットショップを見ていると、しばしば「あなたにおすすめ!」という項目がある。これは検索履歴から興味のありそうなものを紹介してくれるサービスだが、仮にこのサービスの形態が変わり、私にお勧めでないものは検索しても表示されなくなってしまったらどうだろう。そして私はそれに気づかない。
無意識に選択肢を狭められ、その上で判断するということだ。それは自由か?
確かに我々は自由だと思っているだろう。しかし自由の幅が狭められていることを忘れてはいけない。
ハックスリー著「素晴らしい新世界」のように思考誘導されたまま生きるのが自由なのか?

以上、自由に関する様々な意見を挙げてきた。最も本質に近いのは5.仏教的思想だと私は思う。

しかし、一つ言えるのは、自由を考え始めた時点で自由ではなくなっているということか。

参考文献

◆◆すばらしい新世界 / ハックスリー/〔著〕 松村達雄/訳 / 講談社


自由論 [ ジョン・ステュアート・ミル ]




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ABOUTこの記事をかいた人

・東京理科大理工学部数学科一年の大越英叶。 ・みんなからは親しみを込めて「えいとさん」とよばれる。 ・読書、哲学、数学、クラシックがだいすき。 ・世の中は無常だということを最近理解し始めた。 ・好きな分野:哲学.倫理学.物理学.数学.神学.神話.タロット.C言語.文学.古典.その他 ・苦手な分野:歴史.芸能.地理.時事.ファッション.芸術.アニメ.漫画.経済.その他