数ってなんだろうか?私たちはいろいろな数を知っている。2, 1.3, √5, 2/3,...。 果たしてこれらは一体何者で、どこから生まれたのだろうか。 初めに数の簡単な歴史を紹介し、次に無から自然数を生み出し、整数、有理数、無理数と生み出す。
数の歴史
文明が発達してくると、「書く」という行為が生まれてくる。例えば中国文明、エジプト文明、メソポタミア文明はそれぞれ独自に「文字」という概念を生み出し、記録することを始めた。文字というのは非常に重要な概念で、例えば日本では文字を残す文化はなく、三内丸山遺跡にある集落は300年程度の間、文字を書かなかったために一切文明が発達しなかった。文字がないと口伝でしか情報を残すことができないからだ。
さて、文字が生まれると同時に数字も生まれることになる。数字とは数えた量を記録する文字であった。数とは目で認識できるものの量であったということだ。エジプト文明は「ものの量」ということで分数の表記方法を会得していた。
エジプト文明では10進法を採用し、メソポタミア文明では60進法(12進法)を採用した。エジプト文明が10進法を採用した理由は簡単で、手に10本の指があるからだ。メソポタミア文明の60進法は約数がたくさんあって便利だったかららしい。当然進法が違えば発展が違う。エジプト文明では幾何数学が発展し、メソポタミア文明では計算が発展した。
やがてピタゴラスの弟子が無理数を発見し、インドで0という概念が発見され、位取り法が取り入れられ、小数が生まれ、同時に対数が生まれた。
しかしこれでは全く別の存在(無理数と整数など)が別々に生まれて散らかっている状態だ。無理数と整数は別個の存在なのか?いや、そうではないだろう。我々は実数という概念を知っているのだ。
じゃあ実数ってなんだ?
高校生までに実数を習うだろうが、恐らく教科書にはこう書かれている。
「実数とは有理数と無理数を集めたものだ」
では無理数ってなんだ?
「無理数とは、実数であり、有理数でないものだ」
学校ではこう習う。よく考えると、この2つの文章は実数と無理数について何も言っていない!トートロジーというやつだ。トマス・アクィナスの主張した、「火が熱い理由は火が熱いという性質を持っているからだ」と同レベルの定義である。さて、それでは数学的に数とはどのように定まっているのだろうか。
数の定義
注:以下の定義は諸々筆者がわかりやすく、難しいところを省いたものなので数学的に正しくない場合がある。
数とは数学上最も根源的なものだ。だから何もない状態から数を生み出さなければならない。数を定義したうえで成り立っている諸々の定理は使えないのである。ではまず、自然数を無から生み出そう。(ここでは自然数に0も含む)
自然数
定義1.∅(0)が存在し、それは自然数である。
一つ目の定義は、「何もない」というものが存在するということだ。そしてそれを0と書くことにする。
定義2.自然数aにはその次の数(suc(a)と書く)が存在する。
まず0が存在し、数学的帰納法により自然数を定義する算段である。現代の数字の記法ならば、suc(a)=a+1(次の数=前の数+1)である。
suc(a)=a-1 (次の数=前の数-1)としたら、自然数は0,-1,-2,…となるし、suc(a)=2a+1(略)としたら自然数は0,1,3,7,…となる。しかしどのようにsuc(a)を定義しても、記号が変わるだけで本質的に何も変わらない。suc(a)=a-1の時の-2は、suc(a)=a+1の時の2と等しいということだ。
見た目に惑わされてはいけない。今生み出したのは本質的な数であって、それを表す記号は自由である。当然、ギリシャ数字ならばsuc(a)=a+Iだろう。そして、II=suc(I)=I+I となる。
もっと厳密な議論では、0=∅,1={∅},2={∅,{∅}},3={∅,{∅},{∅,{∅}}}……となる。
これは、0は無で、1は無の集まりで、2は『「無」と「無の集まり」』の集まりで、3は『「無」と「無の集まり」と『「無」と「無の集まり」の集まり』の集まり』で…..となる。本質的な数というのはちゃんと無から生まれているのだ。
この定義によって本質的な数を生み出し、それを位取り法によって書き表したのが現代数学だ。
他にも定義はあるが、根幹はこの2つなので省略する。知りたい方はペアノの公理で検索。
さて、これで自然数を生み出すことができた。次に整数を生み出そう。
整数
定義.整数は、自然数aに対し、a+b=0となるbの集まりと自然数の和集合
注:足し算は自然数を生み出すときに副次的に生み出された。よって使用していい。
この整数によって、足し算に加え引き算が自由にできるようになった。
次に有理数を生み出そう。
有理数
定義.有理数は、整数a,bに対し、a/bの集まり。
ここで数学科の方たちは文句を言ってくるだろう。「おい、割り算定義してないじゃないか。」と。許してください。掛け算と割り算はあるものとしてください。割り算を定義するには、まず掛け算を定義した後、整数a×b=1となるbの集まりを定義し、そのうえでbを掛ける行為を割り算であると定義しなくちゃならないのです。長いので省略します。
さて、有理数を生み出したことで四則演算ができるようになった。四則演算ができる集まりを「体」と呼ぶことがある。
余談ピタゴラスは三平方の定理や「万物の根源は数である」で有名だが、彼は数=有理数だと盲信していた。無理数というのは小数で表せないため美しくないからである。あるとき、ピタゴラスの弟子が三平方の定理で作った√2は数なのに有理数でないことをピタゴラスに告げる。するとピタゴラスは激怒し、川に突き落として弟子を殺してしまった。ピタゴラスも薄々気づいていたが、やはり美しい有理数こそが数だと信じて貫き通した。
これでようやく無理数を生み出す準備が整った。
無理数

まず、有理直線を考えよう。有理直線とは、直線に有理数の数字が書かれているものだ。当然、この有理直線という定規の目盛りは無限に刻まれている。例えば、2と3の間には無限に目盛りがあるということだ。さて、この無限に細かく刻まれている有理直線を二つに分割してみよう。

このようにある場所で直線を切断し、その左側の集まりをA,右側の集まりをA’とする。
定義.無理数αはAとA’の組み合わせである。
このように定義すると、無理数αは切断に対して一意的に定まる。なぜなら、αに無限に近い有理数が存在するからだ!しかしその無限に近い有理数を具体的に書き表すことができない。だからわざわざ直線を切断し、その無限に近い有理数を集まりの一つとして扱うことにしたわけだ。
要約すると、無理数は有理数の目盛りと有理数の目盛りの間にただ一つあるからその二つの目盛りを集まりによって与えてやればよいということだ。
これをデデキント切断という。
しかし、有理数と無理数の数を比べると、無理数のほうが圧倒的に多い。証明はなされていて、その一つに対角線論法という証明がある。ここでは言及しない。
これでようやく実数を定義できる。
定義.実数とは無理数と有理数の和集合である。
これでようやく当初の目的である、無から実数を生み出す方法を知ることができた。もっと厳密に、詳しく知りたい方は以下の参考文献を参照せよ。
参考文献

◆◆解析入門 1 軽装版 / 小平邦彦/著 / 岩波書店
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