幸福とは何か?

様々な哲学者たちの幸福論を示したのち、
私の幸福とは何かを考えてみる。
幸福とは何か?
この議論は古代ソクラテス時代から盛んに行われてきた。
幸福について考えてきた哲学者とその思想を紹介したあと、私の意見を述べることにする。

1.ソクラテス

幸福とは善く生きることだ。善く生きるとは善い行いをし、本能という煩悩に身を任せることなく、理性的に善いことをする生き方だ。
この生き様はなかなか聖人的で、確かに誰からも慕われ、自分でも納得のできる生き方ができる。内外共に認められる生き方であるように思う。
しかし、では善いの定義とは何だ?
パスカルはこう言った。
「川一つに仕切られる滑稽な正義よ!ピレネー山脈のこちら側での真理が、向こう側では誤謬である。」
なんと本質的な言葉だろうか。善い行いなどは立場や場所によって違うのだ。
どれだけ善い生き方だと自分が思っていても、周りが思っていても、それはその共同体の中での話である。
空気を読むという日本の善い行いが、アメリカではシャイ(子供っぽい)とされてしまう。会話の出来ないやつは子供ということだ。
ただし、誰もが認める絶対的に正しい行為を貫き続けたら確かにそれは善い人生で、誰からも認められる生き様だろう。

2.ブッダ

この世界の区別は皆差別だ。善悪なども存在しないし、幸福不幸も存在しない。存在しないものをわざわざ区別して苦しみを生み出しているだけだ。
善悪など存在しないから、どれだけ自分が善い行いをしたと思っていても、それはただ自分がそう思っているだけ。
善い行いに固執してお節介な人間になっていないか?
この世界には善いも悪いもないのだ。ソクラテスのような生き方はやめなさい。
ただ、己の執着を捨て、心安らかにいきていればよい。そして、己の執着を捨てられた人間は他者に情け、慈悲をかけることができる。

3.エピクロス(快楽主義)

この世界で快楽を追求して何が悪い?快楽を追求することこそが幸福だろうに。
しかし、快楽にも色々種類があるようだ。肉体的快楽、精神的快楽等だ。
この内、肉体的快楽は一時の快しか得られず、その後苦しくなるからダメだ。
精神的な安らぎこそが最も苦しまず、快く、永久に続く。
だから精神的な安らぎ(アタラクシア)を追い求めよう。それこそが幸福に生きる道だ。

4.ゼノン(禁欲主義)

不幸というのは欲望に従って生きるから起こる。だから欲望に流されるのはやめよう。世界の理(自然)に従って生きるんだ。
己の欲を全て断てば、真なる幸福である「心の平穏」(アパテイア)が得られる。だから禁欲せよ。
我々は物質でできている。我々の欲も物質によるものだ。そんなものは捨てて、物質本来の法則に身を任せれば、人間は世界と調和し、不幸になどなりえないのだ。

注意:エピクロスとゼノンは最終目標は似たようなものだが、そこへの過程が違う。

5.荘子

荘子のエピソードを話す。
ある時荘子の妻が亡くなった。その後、妻の葬式が行われたのだが、荘子はその場で笑いながら太鼓を叩いて陽気な様子だった。
彼に話を聞くと、「最初は悲しいと思っていたけど、よく考えたら、もともと我々は何もないところから生まれたのだ。何も無いところへ還るのは春夏秋冬のように繰り返されることだ。これが運命なのだ。なら悲しむより愉しめば妻も嬉しいだろう」(超訳)
老荘思想という言葉を聞いたことがあると思う。要約すると、全てのものは相対的(考え方次第)だから気のゆくままに生きるのが良いという思想だ。

例えば無用の用という話がある。
部屋というのは直方体に穴が空いているもので、そこには何もない空間だ。何もないのに物を置くことができるように役に立つ。
何にも役に立たないものなど一つもないのだ。全ては考え方次第。

人生も同じで、ひとえに考え方次第なのだ

5.現代思想

現代では、自分が幸せだと思うことが幸福だという意見が多い。
幸福にも相対的幸福と絶対的幸福があるのだが、割愛する。
どこかの面接では「あなたは今幸せですか」と聞かれたそうだが、どんな境遇でも幸せだと思えば幸せだ。
どれだけ金持ちでも現状に不満があれば、貧困だけど満足している人に幸福度は劣る。金は幸せと同値ではない。

松下幸之助の幸福論

松下幸之助は「素直になるために」という本を出版したが、そこにはこう書かれている。
「素直になることが幸せになることだ」(意訳)
偏見をせず、自他ともに意見を尊重し、無心になって挑戦する。結局、そういう人が幸せなのだ。

しかし、幸せだと思うことが幸福なら、薬物を使うことは認められなければならない。なぜなら、人間には幸福追求権というものがあるからだ。それなのに、薬物により純粋な幸せを追い求めることは認められない。何故だ。

もしかしたら、その後禁断症状により不幸になるからだと言う人がいるかもしれない。
では仮に、なんの副作用もない、一日中幸福でいられる幸福薬が開発されたらどうだろう。それを死ぬまで投与しつづければ一生幸福でいられる。
これは幸福ではないのか?本人は幸福だ。この上なく幸福だ。ならそれでいいじゃないかと、現代思想の「幸福とは自分が幸せだと思うこと」は言っている。

JSミルは言う。「満足した豚より不満足なソクラテスの方が良い」と。

幸福とはなんだ?

ハックスリー著「素晴らしい新世界」に登場する彼らは幸福なのか?
徹底的に理性を、無意識さえも管理されて島の中では常に快適な生活を送れ、幸せでなくなるものは一切排除され、それでも不幸になったときは幸福薬を使うことが許される。
彼らにとっては実に幸福だろう。

では我々にとってはどうだ?少なくとも私から見て、歪な世界に見える。

中島敦著「南島譚:幸福」という小説がある。

要約:ある島に村長から目の敵にされ、苦しい生活を送る青年がいた。ある時から青年は村長と入れ替わる夢を見始めた。青年は村長として旨いものをたらふく食べ、青年(村長)を虐め、好き放題して目が覚めると朝になっていた。
それから数ヶ月毎日この夢を見ていたが、不思議と青年はだんだん丸く肥えてきて、村長は目に隈があり元気がなくなっていった。

夢と現実。この物語では夢は現実とリンクしている。夢で幸福なら幸福なのだろうか?
夢を現実のように感じ、そして現実にも影響するとしたら夢の幸福は現実の幸福なのだろうか?
夢は夢で現実とは別の存在だったとしたらどうだろう。夢で幸福なら私は幸福なのか?

わからない。

私は妥協した。
本質的に幸福など存在しない、それは脳髄の見せる飴に過ぎないと考えている。しかし、幸せなら幸せでそれで良いじゃないかとも思う。
だから、私は「どんな状況であれ、幸せなら幸福だ」と思考停止した。
本質的なマクロ視点では「幸福など存在しない」だが、私の人生というミクロの視点では「幸せならば幸福だ」
このように結論付けた。




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・東京理科大理工学部数学科一年の大越英叶。 ・みんなからは親しみを込めて「えいとさん」とよばれる。 ・読書、哲学、数学、クラシックがだいすき。 ・世の中は無常だということを最近理解し始めた。 ・好きな分野:哲学.倫理学.物理学.数学.神学.神話.タロット.C言語.文学.古典.その他 ・苦手な分野:歴史.芸能.地理.時事.ファッション.芸術.アニメ.漫画.経済.その他