アリストテレス

今回はアリストテレスの思想の概要を話す。

アリストテレスとは超有名な哲学者である。彼は様々な功績を残した。
例えば科学の基礎を築いたり、論理学の基礎づくりに貢献した。

論理学

三段論法

アリストテレスで有名なのは、三段論法だろう。
三段論法とは演繹法、つまり抽象から一般の事柄を導く方法である。
例えば、
人間は死ぬ。
ソクラテスは人間だ。
ソクラテスは死ぬ。



まず、大前提がある。大前提が最も抽象的なものである。他の例ならば、「カラスは黒い」などだ。
次に小前提がある。これは、対象が大前提に属していることを示す。例えば、「この鳥はカラスだ」など。
最後に、結果がある。例えば、「この鳥は黒い」だ。

ここで注意。
カラスは黒い
この鳥は黒い
この鳥はカラスだ

とはならない。カラスならば黒いけれど、黒いならばカラスとは言っていないからだ。必要条件を満たしていない。

帰納法

抽象から具体への方法があれば、当然具体から抽象への方法もある。それが帰納法だ。
帰納法というと、Fベーコンで有名であるが、Fベーコンはただ帰納法の重要性と、その弱点を説いただけであって、帰納法自体はアリストテレスの時代から存在した。
例えば、
これまでみてきたどのカラスも黒かった。
つまりカラスは黒い。

具体的な事柄、「このカラスは黒い」を寄せ集めたら共通部分で「カラスは黒い」という抽象的結果が得られる。

アリストテレスは帰納法をかなり重要視していたようで、

帰納法というは、個々から全般に至る通路である。・・・帰納法は三段論法にくらべて、もっと多く承認させる力をもち、もっと明瞭であり、もっと感覚的によく知られていて一般大衆に通じやすい『トピカ』

と言っている。

形而上学

形而上学とは何か?大雑把に言えば、考えることである。
アリストテレスにおける形而上学とは、「存在を存在として研究する」ことであった。
ハイデガーのようなものだ。ハイデガーは「どうして一体存在者があるのだろうか?いや、むしろ無があるのではないか?」という質問を自分に繰り返し、存在とは何かを探求した。
存在とはなんだろう?東京理科大学というものは確かに存在する。しかし、東京理科大学とはどこにある?
理科大のキャンパスは理科大であろう。では、理科大の敷地内、上空10メートルの部分はどうだろう?ここは理科大だろうか?
法律では確かに理科大の敷地が決まっていて、もしかしたら高さも決まっているかもしれない。理科大とはこうしてできた敷地の境界、多面体の内側のことなのか?
こうして考えると、理科大はどこにあるのかわからなくなってくる。そもそも存在とはなんだろう?これが存在を存在として考えるということだ。

当時流行だった存在論は、イデア論だ。
全てのものが最も理想的であるイデア世界があり、不完全なこの世界で我々はイデア世界の影を見ているんだという理論だ。

何故この思想が生まれたかと言えば、「何故我々は完全な正三角形を見たことがないのに、完全な正三角形を思い浮かべられるのだろう?」という疑問があったからだ。
我々の見る正三角形は正三角形ではない。物質が集まってできたという時点で既に違う。線とは面積0の点が無限に集まったものでなければならない。面積があって、有限な点でできたものはもやは線ではない。

プラトンはこの問いに一つの答えを与えた。
「完全な三角形は存在するんだ。我々はその完全な三角形を何処か、生まれる前とかに見ていて、それを記憶していたんだ。」

質料と形相

「人間」と「この人間」は違う。
それをせつめいするために、まずは全てのものに共通するものを考えよう。
形あるものは皆、「その形」と「その物質」に区別できるのではないか?
それぞれを、「形相」と「質料」と呼ぶことにしよう。
例えば机がある。机は、木という物質が、机という形に形成されていると考えられる。
全てのものは質料と形相によって作られていて、かつ、形相はつねに質料と結びついて存在する。形相だけでは存在しない。

そう。形相だけでは存在し得ないのだ。
つまり、イデアなどは存在しない。アリストテレスはプラトンの弟子ながら、こう言った。

力学

これを力学として分類してしまうのはいささかなさけないが(本来なら質料と形相の説明の延長)、私はこれを力学の一種として解釈した。

なぜ物Aが動いているのだろう?
それはべつのものBがAを動かしたからだ。
ではBはなぜAを動かせるのか?
それはBが動いているからだ。停止していたら動かせない。
ではなぜBは動いているのか?
それはべつのものCがBを動かしたからだ。
ではなぜ……

このようにして考えると、物を動かした物があって、それを動かしたものがあって、それを動かしたものがあって、……となる。
では、最初はどうなのか?最初に物を動かした根本原理があるのではないか?
それは動かない。動かないのに動かせる。不動の動者。つまり神だ。

面白い理論である。確かに、このようにも解釈できる。これが哲学の面白いところだ。世の中の解釈。与える前提条件の違いにより生ずる定理の差異。実に面白い。

今回はこれくらいで勘弁してください。
もっと読みたい方はこちら。

世界十五大哲学 (PHP文庫) [ 大井正 ]




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

・東京理科大理工学部数学科一年の大越英叶。 ・みんなからは親しみを込めて「えいとさん」とよばれる。 ・読書、哲学、数学、クラシックがだいすき。 ・世の中は無常だということを最近理解し始めた。 ・好きな分野:哲学.倫理学.物理学.数学.神学.神話.タロット.C言語.文学.古典.その他 ・苦手な分野:歴史.芸能.地理.時事.ファッション.芸術.アニメ.漫画.経済.その他