「現代思想2016年10月増刊号:相模原障害者殺傷事件」

今回は題名の書籍の一部の要約とその考察をする。

相模原殺害事件について前回触れたので、当書を読んでみた。なかなか面白い意見や、別の角度からの視点もあったが、中には一般人と変わらないような粗野な思想の持ち主もいた。
総評として、この本、いや、この月刊ムック本は読むべきであると思う。

相模原殺害事件:重度の知的障害者を標的に、そのケアを生業としていた人物によって、生命の終結を明確に意図した殺人行為を「安楽死」という名目で起こった。

概要を把握するために下手ながらノートをとった。参考になるはずがないが、参考になれば幸いである。
https://www.evernote.com/

森達也

マスメディアは、

  1. 市場の原理
  2. 犯人を擁護していると非難されることへの恐れ

により、事件の普遍性を排除し、特異性を誇張する。
また、我々はリスク(危険性)とハザード(有害性)の区別をつけられていない。
我々はリスクとハザード、事件の普遍性と特異性の区別をつけるべきだ。

と主張している。
植村容疑者は衆院議長に送った手紙の一節に、「私はUFOを2回みたことがあります。未来人なのかもしれません。」と書いたそうだが、それに対して識者は「意味不明なことをかいて相手を恫喝しようとする攻撃的な性格が表れている」と主張したそうだ。
マスメディアの特異性の誇張とはまさにこのことだ。事件の異常さを最大限誇張しようとするこの風潮。その結果、犯人は理解不能なモンスターに造形される。
こうして事件は普遍性が無視され、結果事件から教訓を得たり再発防止に努めることができなくなる。

事件直後に「犯罪予告者に対してGPSを埋め込むべき」と主張した議員がいて、それに賛同した人が多数いたそうだ。
これは明らかにプライバシーの権利に抵触する。それなのに賛同者がおおいというのは、つまりリスク(危険性)とハザード(有毒性)の区別がついてないのだ。
マムシはハザードが大きい。しかし都市部には出現しないから、わざわざゴム長靴を履くなどの対策をする必要がない。GSPを犯罪予備軍に取り付けていたら、逆にリスクが増大するばかりだ。
我々はリスクとハザード、事件の普遍性と特異性を区別すべきである。

私の意見

彼の二つの主張には大いに賛成する。
一つ目の、「事件の特異性と普遍性」についてかんがてみる。
事件の特殊性というのは、たとえば「彼が人間とはかけ離れた狂人的思想を持っていたからこうしたんだ」という彼自身にしか当てはまらないことである。
一方、事件の普遍性というのは皆がそうであったり、「お金がないから万引きした」などどこにでもあふれた理由を持つ場合である。
今回の容疑者は一見、我々とはかけ離れた思想を持っているように見える。
彼の思想というのは、「高齢者は苦しみながら生き続ける。我々彼らを生かすために資源を使う。高齢者が居なくなれば互いに得である」というものであり、その思想のもとに人を殺した。
彼は常人とはかけ離れた思想をもっているだろうか?
彼は報道で諸悪の根源のようにとりあつかわれるが、はたして彼だけなのか?

そうではない。そうではない。我々はこのような思想を持っている。
優生学という思想がある。優生学とは、人間を価値ある人間と価値ない人間に分類し、後者を排除する思想だ。
例えば、使える人間と使えない人間がいたら、会社は間違いなく使えない人間を排除する。資本主義社会そのものが優生学思想なのだ。

この思想は合理的だ。感情論でもないし、人間の狂気でもない。合理性に由来する。ここが厄介なところだ。
この思想を押し広げると、はじめは重障害者、次に障害者、高齢者、役立たず、…と切り捨てられる幅がどんどん広くなり、誰もが命の危機にさらされる社会になってしまう。だからこの思想は認めてはいけない。いわゆる滑り坂論法である。
この思想を推し進めたのがナチスドイツである。当然皆の理解する通り、これは一般に悪いことだ。だから日本国憲法でも、「国民は個人として尊重される」と書かれているし、ドイツ憲法第1条には人間の尊厳が記載されている。

つまり、この事件の引き金というのはだれしも持ちうる思想が原因なのだ
このような事件を繰り返さないためには優生学との関わりを社会全体で議論してゆくしかない。
互いに納得のいくまでの議論が必要なのだ

「なぜ人を殺してはいけないのですか?」
この質問はTBSのある討論番組でなされたそうだ。そのとき、有識者はだれ1人答えることはできなかった。
人を殺すことは悪いことだ。しかし何故と聞かれたら答えられない。
もしかしたら我々は空虚な基盤の上に立っているのかもしれない。その不安がこの「何故人を殺してはいけないのか」によって想起させられる。

この不安を解消するには、考えるしかない。考えて考えてかんがえぬいて、自分の根拠を考えるしかない。

どのみち、我々は考えることでしか先に進めることはできない。よく考えて、判断するべきだ。この事件は全く特異的でない。皆が持ちうる普遍的なものだ。それをメディアはあたかも自分たちは優生学を信じていないかのように文句を言う。
まさに、批判するその構造に自分自身が含まれていないということだ。

この事件を単なる犯罪としてみてはならない。




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・東京理科大理工学部数学科一年の大越英叶。 ・みんなからは親しみを込めて「えいとさん」とよばれる。 ・読書、哲学、数学、クラシックがだいすき。 ・世の中は無常だということを最近理解し始めた。 ・好きな分野:哲学.倫理学.物理学.数学.神学.神話.タロット.C言語.文学.古典.その他 ・苦手な分野:歴史.芸能.地理.時事.ファッション.芸術.アニメ.漫画.経済.その他